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ノーベル文学賞2017【カズオ・イシグロ氏文学賞受賞を記念して④ 浮世の画家 ( An Artist of the Floating World)】

2017.12.09

『浮世の画家』と背景としての三つの「昭和」(2)

 二つめの昭和は、日中戦争から太平洋戦争の時代。1931年満州事変勃発、1932年日本国際連盟脱退あたりから、日本は、軍国主義の色彩を強め、坂道を転がるように破滅への道を転がり落ちていきます。1937年の盧溝橋事件の契機に全面的に日中戦争に突入。時の近衛内閣は 戦時体制を強化するため、1938年国家総動員法を制定。経済、資源のみならず、文化までが厳しい国家の統制下に置かれていきます。1941年アメリカ、イギリス、オランダ等 連合国と開戦。ついには連合軍の徹底的な戦略爆撃に国土は焦土と化し、多くの人命を失い1945年敗戦を迎えます。

 

 三つめの昭和は、戦後の進駐軍占領下の時代です。占領軍の進駐によって、上からの急速な民主化政策が実施されます。1945年女性参政権獲得、1946年日本国憲法の公布、1946年旧高級軍人・高級官僚と戦争協力者の公職追放(パージ)(※1)、財閥解体(※2)、農地改革等、再びすべての価値観が変わってしまった戦後。混乱の中、サンフランシスコ講和条約によって日本が再び独立、国際舞台に復帰する1951年までがこの作品の三つ目の時代です。

 

 『浮世の画家』は激しい時代の変遷に中で、翻弄されながらもしぶとく生き、絵画美術の世界では、功なり名をとげた画家の追想という想定です。生き延びてきた『私、画家小野益次』の語りが、成長した2人の娘と孫を中心とした家族とのやり取り(小説の舞台では1940年代末)が語られ、過去の師匠や様々な弟子たちの係わりがフラッシュバックしながら続いていきます。

 大正デモクラシーの時代から昭和期に流行した、美人画の系譜(※3)につながると思われる師匠『モリさん、森野誠二』への師事。アトリエとして使っていた別荘での画家仲間とのデカダン的共同生活。彼ら仲間との議論。紅燈街で働く女性に美を見出し、モデルとして絵を描き続ける『モリさん』と『私』、若い画家たち。 しかし、時代が変わり、絵画芸術も全体主義・軍国主義の時代の大波に飲みこまれ、『私』は戦時翼賛体制の一翼を担い、内務省の文化統制に協力することになります。必然的に到来する、[モリさん]との訣別。敗戦直前に空襲で妻を失い、敗戦後のパージもくぐり抜け、生き延びた益次。弟子たちとの関係の変化。復興は着実に進み、大きく変化する街並み。変わる『私』の心情。

 【美・風俗と芸術】、【芸術と政治】【社会の変容】という普遍的テーマが三つの昭和の日本を借景にして物語が進みます。移ろいゆく時代-浮世に流されていく【私』を語ったイシグロ文学の真骨頂と言えるでしょう。

 

(※1)公職追放(パージ):1946年連合国最高司令官の覚え書きに基づいて行われた,軍国主義者・国家主義者の公職からの追放。1952年サンフランシスコ講和条約発効により廃止。

(※2)財閥解体:1945年~52年にかけて行なわれたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策の1つ。「侵略戦争の経済的基盤」になったとされる財閥を解体することで、日本の経済支配体制の解体を目的とした経済民主化政策。この政策より、三井、住友、三菱、安田、富士の大財閥を解体指定した第一次財閥解体から、財閥参加の持ち株会社を解体した第五次まで財閥の指定が行なわれ、合計83の財閥が解体されることとなった。

(※3)美人画の系譜:西洋絵画には存在しない、日本絵画特有のジャンル。肖像画ではなく、浮世絵の長い伝統に裏打ちされ、今日でも脈々と生き続ける「日本人の美意識」のエッセンスともいうべきもの。喜多川歌麿(1753?-1806)勝川春章(1743?-1793)等の浮世絵から、西洋絵画の技法を取り入れた竹下夢二(1884-1934)、鏑木清方(1878-1972)、伊藤深水(1898-1972)等が代表的系譜だと言われる。

(終わり)