ノーベル文学賞2017【カズオ・イシグロ氏文学賞受賞を記念して③ 浮世の画家 ( An Artist of the Floating World)】
2017.12.07
カズオ・イシグロ氏は特異な作家の一人です。作品によって物語の時代と舞台(地域)は様々ですが、どの作品も総じて、語り口は淡々としています。しかし、かなり主観的、象徴的な構図の中で物語が進行していく、表現主義(※1)的とも言える作風です。いずれも紡ぎだされる世界の抽象性が高く、観念的なのもカズオ・イシグロ文学の特徴と言えるでしょう。
初期の代表作『浮世の画家』(1986)は、一人称『私、画家小野益次』が追想を語るというイシグロ文学の一つの形をとります。その語りは、近代日本文学が得意とする私小説的独白ではありません。物語のそれぞれの構図の中で、情緒的ではなく、語りたいことのみをきっちり切り取った、モノクロ無声映画の【映像】のような表現。しかも世界構築はかなり論理的です。この意味でカズオ・イシグロの世界は浅薄なジャポネスクではありません。
『浮世の画家』で描かれる舞台は、戦後の日本の中規模都市。横浜生まれ、横浜育ちで32歳までの半生を日本に居住していた当職からみるとやや違和感のある日本の街。仮に時代考証を試みればいくつか史実とは矛盾する箇所も見受けられます。しかし、これはカズオ・イシグロ氏にとっての【小説の舞台としての日本のイメージ】なのです。
(※1)表現主義:二〇世紀初めドイツを中心に展開された芸術運動。美術上の印象主義、文学上の自然主義に対する反動としておこり,作家の内面的・主観的な感情表現に重点をおいた。日本語に翻訳すると意味が分からなくなるが、表現主義( Expressionism )と印象主義( Impressionism )は、対義概念。 当初は絵画で,キルヒナー・カンディンスキーらが主唱した。バウハウス、キュビズム等の流れが抽象絵画へ展開していく。第一次大戦後は文学・音楽・演劇・映画の分野にも拡大。
『浮世の画家』と背景としての三つの「昭和」(1)
イシグロ氏は、それぞれの時代の具体的な描写は殆どしていませんが、社会の価値観が極端に変化した昭和の三つの時代の変遷をこの小説の背景としています。 最初の舞台は、大正デモクラシーの自由な香りが残る昭和初頭1920年代末から1930年初頭までの時代です。日本が急激に近代化、中流社会が形成されていった時期に当ります。明治末に全国の主要都市に市電開通延伸。(※2)昭和初頭には、首都圏、近畿圏に私鉄近郊電車開通。(※3)近郊に住宅地が造成され始めました。ラジオ放送が(※4)開始され、情報や文化がそれまでは考えられないスピードで全国に伝播。昭和モダン(※5)と言われる和洋折衷の大衆文化が花開いていきます。
(※2)市電開通延伸:市街交通機関として有用性が高く、多くの地方都市に広がった。この作品にも、何度か登場、沿線の風景は『私』の心情を映し出す鏡として使われた。 1995年(明治28年)京都電気鉄道伏見線開通。 1898年(明治31年)名古屋電気鉄道開通。 1900年(明治33年)東京鉄道(後の都電)開通。 1903年(明治36年 大阪市営電気鉄道(後の大阪市電)開通。
(※3)私鉄近郊電車の開通:勤め人(=サラリーマン)が電車によって通勤というライススタイルがこのころ確立した。 1925(大正14年)山手線〈現JR山手線〉が環状線として全線運航開始。 1927 (昭和2年) 小田原急行(現小田急電鉄)開通。 1927年(昭和2 年)西武鉄道、東村山・高田馬場間開通。(現西武新宿線) 1932 (昭和 7 年) 東京横浜電鉄(現東急東横線)渋谷・桜木町間開通 等。
(※4)ラジオ放送開始:1925年(大正14年)JOAK〈現NHK〉がラジオ放送開始。落語、漫才、浪曲、歌謡曲等大衆芸能等が全国に一気に拡大した。 (※5)昭和モダン:昭和初頭に花開いた和洋折衷の近代大衆文化のこと。現代から見ればレトロ。不二家洋菓子店が1922年(大正11年)横浜伊勢崎町、1923年(大正13年)に銀座に付設の洋風喫茶店をオープンした。大正末から昭和初頭にかけて、洋食屋が増え、カレーライス、オムライス、トンカツ等の和洋折衷メニューによって外食文化が普及した。ニューグランド・ホテル(1927年開業、横浜)は昭和モダン建築の典型。このホテルで料理長をしていたサリー・ワイルが、和食材のコメをフランス料理法で調理、新メニュー「ドリア」を考案した。
(続く)