グローバル社会は「開かれた社会」
現在、世界中の学生たちはそれぞれの目的によって大学を選びます。勿論、国境を越えて選択します。現在の教育のグローバル化の中で、さまざまな国から集まった学生たちの一期一会は その後の人生を通して、ソーシャルネットワークでつながり続けます。 しかし、定住を基本として、「よそ者」を入れない「閉ざされた」農耕型社会のDNAが強く、オーブンなネットワーク作りが下手な日本人は、ともすると、「外国に行きたくない」「海外駐在はいやだ」なんて言い出します。逆に今まで、日本の「閉ざされた社会で」、『あいつは変わっている、変な奴だ!』と否定的評価を受けていた人が、逆に「開かれた社会」では活躍できたりします。明らかに肯定的評価への大転換となるわけです。 そのため、農耕社会の中で「目立つことを避ける」ための日本人の常套句である、『中庸、ふつう』とか『そこそこ』なんていっていたら、現在の「開かれ続ける世界」で「特出」して目立つ人たちに負けてしまい、リーダーシップをとることはできません。 つまり、この「グローバル社会」と呼ばれる新しい「開かれた社会」では、毎年同じ作物を作柄に一喜一憂しながら丁寧に栽培するというより、その時必要なものを作ることや、自らを作ったものを別の人々が作ったものと交換したり、組み合わせたりすることがより求められます。 現在の子供たちが大人になったころには、2014年時点で存在しない職業がもてはやされたり、誰も解決したことのない複雑な問題に直面したりするに違いありません。そこでリーダーたちに求められるのは、ノウハウ本的なステレオタイプの発想ではなく、それぞれの豊かな体験や感性に基づいたオリジナルの考え方、発想ですばやく対応することであるのは確実です。 そのため、今の教育に求められるのは、常識や社会通念にとらえられていない子供を、従来の「閉ざされた世界」に生きてきた大人の発想の鋳型にはめ込まないこと。他者と違う好みや自由奔放な発想を否定してしまわないで、はっきり子供のユニークさを褒め、勇気づけて、伸びる素地をつぶさないことが大事です。 ただし、「開かれた社会」であっても、いや「開かれた社会」だからこそ「規律(ルール)」道理という「義」が必要であることは言うまでもありません。
グローバル社会で活躍する子供たちへのメッセージ
筆者は、海外在住経験の豊かな生徒たちが、その自由な発想と発言ゆえに、「君って変わっているね!」「天然だね!」なんて言われ傷つく例をたくさん見ています。しかし、その自由さは必ずや来るべき変化の時代を生きていく宝となります。筆者の経営する海外子女専門進学塾オービットではその天然さを保持しそのユニークさを表現できるように、小さくまとまってしまわないように、「違っているとか変わっていることは良いことだ!」と励ますようにしています。 (終)
ワールドクリエィティブエデュケーション CEO
オービットアカデミックセンター 代表
ワールドスクエア 代表 後藤敏夫